嗚呼、あ~あ

仕事のコトとか、旅のコトとか。雑談です。

留年しても就職浪人しても何とかなる!要は自分次第

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こんにちは。「やし」です。
突然ですが、僕は留年と就職浪人を一度ずつしています。

 

それでも今は何とかそれなりの企業に勤めて、お給料も同世代の方と同じくらいは貰っていると思います。

今日は、恥ずかしながらその辺の経験とか、就活にどう影響したのかとか、書いてみたいと思います。

 

留年

 

自分で言うのもアレなんですが、高校まではボチボチ成績も良かった、孝行は進学校で順位は真ん中よりちょい上の辺りにいました。

大学は浪人せずに某国立大に行きました。


そこまではよかったものの、通学に片道2時間でつい1限はサボりがちになり、サークルの仲間と遊ぶのに明け暮れ、気づいたらいつしか合格点ギリギリを狙うようになっていました。それでも、レポートやテストの情報を共有できるような友達や先輩がいたのは救いでした。

流石に2年生の中盤辺りで、このままではやばい、と思ったものの、一度躓いたら起き上がるのは相当大変、ギリギリ必修単位が足らずに留年してしまいました。理系の大学だったので、留年生自体は2割~3割ほどいて珍しくはないものの、やはりショックでした。

プラス1年

 

僕が行っていた大学は、一定数以上単位を取らないと4年生の卒業研究に着手できません、というシステムでした。ですので、実質3年生を2回やるという形。ですが、その2回目の3年生は必修だけ取ればよいという状況でした。

週一回大学に行けばよかった。授業のない日にバイトをし、夏休みにはフィジーにホームステイと短期留学をし、冬休みや授業が休みの週などにサクッと旅行に行ったりしてました。この辺に旅好きになった原点があるのかもしれません。

 


就職浪人

 

さて、僕の1回目の就活は、4月が面接解禁でした。そのため、冬からは合同説明会なんかに行きました。形から入ろうと(笑)
完全に就活やってる気分になってました。授業がなくて、時間だけはあったので、とりあえず多くの説明会に行きました。しかし、面接のことを何も考えてな買ったために4月から始まった面接で最終面接までたどり着けたのは、ほんの2,3社のみ。GWには行きたかった企業や大企業の採用は終わってしまいました。まわりにも「就活終了宣言」が増えます。
失望のGWを過ごし、5月の下旬になんとかメーカーから内定をもらったものの、贅沢にも「行きたくない」と思ってしまい、内定を辞退してしまいました。そこからは、なんとなく院試の勉強をするも、なかなか手に着かず、卒業研究も成り行きで進めてそのまま卒業してしまいました。

次の年は、新卒一括採用の面説解禁が8月からでした。たまたま売り手市場の時代に就活ができたのは、運が良かったとも思っています。2回目の就活は、5月くらいから企業の説明会に行き始めました。この時には合説に行っても得られるものは少ないと思っていたので、行かなかったし、会社説明会も本当に行きたいと思った会社だけに行きました。2回目ということで、面接も上手く、そしてコツもつかんでいたと思います。7月下旬から面接に行き始めましたが、7月末~8月頭は予定の繰り合わせに苦労しました。
8月の1週目には最終の内定が出て、お盆明けまでに3社内定を得て、就活を終えました。

で、10月の内定式から入社までは何も会社に呼ばれたりはしなかったので、1か月ほどインドに行ってみたり、1か月ほど南米に行ってみたりしていました。


入社後、ブラック外部研修を受けて

 

ぎへあ

 

ってなるんですが。↓↓↓

 

yashi-noki-ippon.hatenablog.com

なんだただの自慢じゃん、て思う人もいるかもしれませんが、まぁ、要は人より留年や浪人、就職浪人という形で遅れを取っても
なんとかなるよー、って話でした。